◆プロフィール◆
1958年、東京生まれ。父母は、韓国済州島出身。
兄と2人の姉を持つ末っ子の玄に、父は、「自分のやりたいことをやれ」と言って聞かせていた。そんな父が高校2年の時、癌で急逝。ものを表現する自由な仕事をしたいと作家を夢見ていた玄は、家を出て、バイトをしながら受験勉強を続ける。母が影で支えてくれた。早稲田大学第2文学部に学び、84年テレビの制作会社テレコム・ジャパンに入社。活字志向だった玄にとって、テレビは未知の世界だった。そんな時、脳裏に浮かんだのが、遠い日、テレビを見て泣いていた母の姿。母は読み書きができない。でも、テレビは見られる。“お袋が泣くようなものを作っていこう”これが原点となり、今へ続くドキュメンタリー作家としての玄の支えとなっていく。
精力的な創作活動が評価される中「在日だから撮れる」との声に反発、「人間として人間を撮りたい」と“一番”を目指し、90年フリーに。和歌を詠む台湾老人に“言葉って何?”と問う「台湾万葉集?命のかぎり詠みゆかむ?」で数々の賞を受賞。初めて“これが自分の作品”といえるものとなったという。96年にはクリエイティヴ・ネクサスのチーフディレクターとなり、優れたドキュメンタリーを発表し続けてきた。
在日コリアンのための老人ホームを撮った「故郷の家」では、半年間在日一世を追い続け、母の姿を重ねた。作品が出来上がった時、母にやさしくなれた自分に気付き“ドキュメンタリーを撮ることは、人間として自分をマシにしてくれる”と思うようになったという。
節目の20年目、再びフリーとなって韓国に渡り、取組んだ「シャウト オブ アジア」。初の劇場公開作品である。


玄 真行
Masayuki GEN
Director
◆おもな演出作品◆
1988年 「幻の東京オリンピック」共同演出(テレビ朝日)※ギャラクシー大賞受賞
1995年 「台湾万葉集〜命のかぎり詠みゆかむ〜」(NHK)
ギャラクシー(放送批評懇談会)選奨
ATP(社団法人 全日本テレビ番組製作社連盟)郵政大臣賞
ATPドキュメンタリー最優秀賞
1996年 「故郷の家〜在日韓国・朝鮮人の特別養護老人ホーム〜」(フジテレビ)
1997年 「巨鯨に挑む〜インドネシアの海人ラマファー〜」(関西テレビ)
ATPドキュメンタリー最優秀賞
1998年 「神々の詩アリラン」(TBS)
ギャラクシー奨励賞
1999年 「幻の鯨イッカク〜北極・人間たちの大地へ〜」(関西テレビ)
ATPドキュメンタリー最優秀賞
ギャラクシー奨励賞
2003年 「アジアの歌」(BSフジ)
2005年 「シャウト オブ アジア」 4月23日〜5週間 (渋谷シネ・ラ・セット)
2005年 「にんげんドキュメント かあちゃんは好敵手 棋士・藤沢秀行と妻モト」 (NHK)
ATP2005 グランプリ 受賞
ATPドキュメンタリー最優秀賞
2005年 「そして僕は日本で生まれ育った〜在日コリアン・家族の100年〜」 (NHK)
1995〜2005年までの一連の演出に対して ATP特別賞(個人賞)受賞
韓国で、ミュージシャンを探していた。
テレビの番組制作会社をやめて、フリーになって、
自分をゼロにもどして、もうちょっとマシになりたかった。
父と母が生まれ育った故郷、韓国へ、僕は渡った。
“カン・サネ”という名前を聞いた、韓国語で“川と山へ”という意味。
CDで『ラグヨ』を聴いた、言葉もわからないのに涙がでてきた。
会って、飲んだ。
カン・サネは、数年前、砂漠を放浪している。
「 韓国でスターになって、有名になって、お金が入ってきても、
なぜか満足できなかった。
今、俺が生きている、この国、この社会って何だろう。
俺って何だろう、いったい俺は何者なんだ。
そう想ったとき旅へ出たくなった…」
カン・サネは酔っぱらって、言った。
アジアの国を駆け巡って、
ミュージシャンたちと出会って、
その魂を感じて、歌を作る旅。
「 一緒に行かない!? 」って、僕は、カン・サネに頼んだ。